名状しがたい日記のようなもの

適当なことを適当に書く感じのあれです(愚痴多め)

顔も知らない私のお母さんへ

お母さん。
私のお母さん。
顔も年齢も知らないお母さん。
知ってるのは、柱に刻んであった身長と名前だけ。

お母さん。
どこで何をしていますか?
生きてますか?
幸せですか?
私たち子供のことを、思い出したことはありますか?

私が生後半年の頃?九ヶ月だったかな?離婚したそうですね。
そして私たちはお父さんに引き取られた。
揉めたりしたのかな?
私たちのことを引き取りたいという気持ちはあった?
それとも顔も見たくなかった?
だから私にはお母さんの記憶がひとつもないの?
会いに来てくれたとか、手紙か何かくれたとか、
そういう記憶が何もないのは、嫌われてたから?

お母さん。
私はお兄ちゃんたちに比べて幸せでした。
お兄ちゃんたちはお母さんと別れるとき沢山泣いたそうですね。
私にも何度かお母さんや、お母さんの父母、つまり、
母方の祖父母の話をしてくれました。
どうして覚えていないんだ、と怒られることもありましたが、
私は小さかったので何にも覚えていません。
だからお兄ちゃんたちのように、あなたを恋しく思ったり、
そのせいで泣いたりすることはありませんでした。
お母さんがいないこと、が私にとっての当たり前だったので。

でも、お母さんのことを想うことは沢山ありました。
周りの子にはみんなお母さんがいて、私にはいなくて、
それを口に出すと空気が固まるのは、不思議な気分でした。
お母さんがいるって、どんな感じなんだろうとは思いました。

あれからお母さん候補が何人もできました。
私はその人たちに馴染めたことは一度もありませんでした。
お母さん、と口に出して呼んだ人も一人もいません。
母の日は父方のおばあちゃんしか祝ったことがありません。
お母さんにも、母の日に感謝してみたかったです。

お母さん。
あなたが私たちを捨てたように、私もあの人たちを捨てました。
そして逃げました。
お母さんがそうしたくなった気持ちが、
そうするしかなかった状況が、少しだけわかる気がします。
お母さんにとってあそこは窮屈でしかなったんでしょうね。
お父さんはお母さん自身やその父母について、
悪いことしか言いませんでした。
きっとお母さんに逃げられた恨みから出ていることが、
その言葉の数々の大半を占めていたんでしょう。
そしてきっと、私も今、同じように言われてるんでしょう。

複雑な気持ちですね。
お母さんのことも、私のことも、真実はわからないけど。
少し知れたらよかったのにな、とは思います。

お母さん。
一度だけ会ってみたかったです。
あなたがどんな人なのか、話してみたかったです。
母の温もりとはどういうものか、感じてみたかったです。
お袋の味とはいったいなんなのか、味わってみたかったです。

お母さん。
あなたが生きていても死んでいても、私には何も変化はありません。
お母さんと私が会うことは、絶対にないでしょう。
だから、この言葉たちはお母さんには届かない。

それはわかっているけど、届いたらいいなと思う言葉が、
ひとつだけ、たったひとつだけあります。
お母さん、幸せに生きていてほしいです。

お母さん、どうか、幸せに。
それだけがあそこから逃げ出した私の、希望の光です。
先に逃げ出したあなたが幸せでいてくれたら、
それは私の心の支えになります。
自分勝手な願いだとはわかっています。
私の希望のために、幸せであってほしい。

町中ですれ違っても互いに気づくことはないし、
意図的に会うことは絶対にない、
顔も年齢も、名字も知らない私のお母さん。
お母さんに、この言葉たちが伝わったらいいのにな。

お母さん、幸せでいてね。