名状しがたい日記のようなもの

適当なことを適当に書く感じのあれです(愚痴多め)

私の身体への嘆きと記録でした

こんばんは。

これは私の身体について状況や考えを記し、

私を慰めるための日記です。

特に読む必要はありません。

書いていきます。

 

私がまだ学生だった頃。

私は当時から恋愛感情を持っておらず、

理解もできなかった。

だけど、性欲は人一倍強かった。

恋愛感情も性欲もない人はアセクシャル

なら私は一体なんなんだろう、

とぽろっと溢した言葉に対して、

クラスメイトが言った。

『それはただのケダモノだよ』と。

 

獣かぁ。

そうかそうかー。

私は割とまんざらでもなかった。

納得したし腑に落ちたし、

形容してくれたことに感謝すらした。

今でも彼女の名前は覚えている。

(今はアロマンティックという言葉を知っているけれど、私は獣という表現も気に入っている。人間も獣の一種だからね。)

 

実際私は人より獣に近いと思う。

人より鼻がずっときくし、

性的に相性が良い人は匂いでわかる。

ただその代わり、群れで暮らす猿のように、

相手に慣れ過ぎるほど長くそばにいると、

最初は感じられた匂いが感じられなくなり、

それが進めば進むほど、

相手を性的に見られなくなってしまう。

猿のメスは成長過程でそばにいたオスを、

自分の親である可能性があるとみなし、

繁殖期に避けるようになるのだから、

私よりだいぶましだけれど。

私はどんな時であれ長くそばにいると、

最初は魅惑的だったはずの匂いが

感じられなくなってしまう。

私に理性が備わっていなければ、

ゆきずりの相手と一度だけするのが一番、

快楽を得るのに適しているし、

そうしていたかもしれない。

私の中の理性の欠片に感謝を。

 

ただ、私がお盛んだったのは昔の話。

今の私には枯れているという言葉が似合う。

実際にカラッカラに枯れているし、

もう何年も行為をしていない。

もうそろそろ悟るかな、なんて考えていた。

ついこの間までは。

 

最近、私の身体がおかしい。

おそらく二年以上飲んでいた薬を、

二週間ほど前に辞めたことが原因だろう。

毎夜入浴の前に鏡で自分の身体を眺める。

腹部の前はへこまないくせに、

横が少しへこんで、

所謂くびれのようなものが出来つつある。

胸も少しずつ張り始めたのか、

少し以前よりふっくらして下着がきつい。

といっても少し圧迫感がある程度だけれど。

 

そして、やたらとエロい夢を見る。

以前からたまにエロい夢は見たけれど、

さして気にしていなかった。

なぜなら枯れていたから。

どうでもよかった。

最近はそうではない。

枯れた沼に少し水が湧いたかのように、

興奮と嫌悪を覚える私がいる。

 

そう、嫌悪。

私は自分の身体が嫌い。

女の身体であることを受け入れたくないし、

かといって男になりたくもない。

服薬していた間、上手くいっていた時は、

月経が半年以上来なかった。

だから私は私のことを、

女でも男でもないと思えていた。

 

それが今、服薬をやめたら。

ホルモンバランスの関係で体調は崩すし、

体型はどんどん変わっていくし、

やたらとエロい夢は見るし。

自分の体が女であるということを、

意識せざるを得ない。

大きくないとはいえ胸があって、

そしてそれの主張を感じるようになって、

横腹がへこんで。

私の身体のアウトラインが、

どんどん女のそれに近づいていく。

その上、夢の中の私は女でしかなくて。

 

嫌悪以外のなにものでもない。

いや、いっそ恐怖すら覚える。

毎夜入浴の前に鏡を見ながら思う。

私のこの胸が取り外せたらどんなにいいか。

朝起きたら既に胸が取れていて、

身体の横に転がっていたらどんなにいいか。

私の身体から子宮と卵巣が消え去って、

付随して膣も膣口も消え去って、

尿道口と肛門だけになったら、

どんなにいいことか。

 

服薬してる間は、

私は男でも女でもないと思っていたし、

男か女か、それともどちらでもないのか、

その日の気分で決めれば良いと思っていた。

でも、服薬をやめて、はっきりと自覚した。

私は私が女であることが、とても、

それほどまでに嫌だったんだと。

 

今の性別適合手術は私には適さない。

今はFtM、もしくはMtFの為のものだから。

ノンバイナリーのような人のための手術は、

まだ一般的に認められてはいない。

性自認は自由に出来ても、

身体はそうはいかない。

そのことが私をとても悲しくさせる。

 

男でも女でもなく、

私は私として存在したかった。

けれど、今の世ではそれは叶わない。

私の場合、この曖昧な性で、

名前だけでも変えられたのだから、

幸運と言ってもいいくらいかもしれない。

それでも、悲しいものは悲しい。

感情は主体だから、

状況的に恵まれていても、

感情的に幸福であるとは限らない。

 

完璧に理想の身体になることは不可能だ。

そのくらいは私でもわかっている。

けれど少しでも理想に近づくように、

進んでいければ良いと思っている。

まずは月経が戻ってから、

どれくらい重いか判断して、

それから打つ手を考えよう。

その他のことは私の心身の状態と、

金銭的な余裕が出てから、

出来る限りの理想へと近付ける。

 

そう考えないと悲しくなってしまうから、

いまはそう考えています。

ただの記録でした。

では