名状しがたい日記のようなもの

適当なことを適当に書く感じのあれです(愚痴多め)

他人に引っ張られる感情

こんばんは。

適当に書いていきます。

 

心が動かされる、という言葉を聞いたことがある。

それはある程度しっかりとした心を、

元から持ってる人が、何かに触れたとき、

価値観が変わったりすることを、

そう言うのだろうと私は思っている。

 

私の心には重量感がない。

簡単に動かされまくりだしむしろ浮いてるのでは?

まるで凧のように浮いていて、

いつも自分以外の何かに引っ張られているような、

そんな感じすらする。

 

私は物心ついた頃から何かを読むのが好きで、

本を開けばその世界に入り込み、体感し、

本を閉じる頃には現実で起きた嫌なことを、

本の中の世界に置いてきたような気になる、

少し変わった子供だった。

現実で嫌なことがあっても、

本の世界で楽しさに触れて、

本の中に嫌なことを置いてきてしまえば大丈夫。

なんとなくそんな感覚があった。

 

テレビはあまり見せてもらえなかったので、

幼少期から高校を卒業するまで、

基本的には私の心を引っ張るのは本だった。

家庭の事情で友人付き合いも多くなく、

私の心を引っ張る『人』はあまりいなかった。

 

就職してから少しずつ変わった。

わたしの心は他人の些細な感情に引っ張られ、

上司が怒っていれば狼狽え、

先輩が困っていれば悲しくなり、

先輩が楽しそうであれば私も楽しかった。

仕事がつらくても、上司に理不尽に怒られても、

先輩達と楽しく話せればなんとかなる。

本を読む心の余裕は消え去っていた。

そのうち私の心は擦り切れて、仕事をやめた。

 

今の私の心は、糸を長く繰り出しすぎた凧のよう。

気を付けていないと、

他人の感情という風であっという間に煽られて、

いつの間にか感情が乱高下して疲労困憊になる。

外出すらままならないこともある程に、

私の心は他人にすぐ引っ張られてしまう。

自分が落ち込んでいても、誰かが楽しそうなら、

私も楽しそうにしなければいけない気がして、

無理をして帰宅後苦しむような。

もちろん逆もまた然りだし、

人混みでは色んな感情がない混ぜになって、

頭の中がごちゃごちゃになって、

パニックで泣きそうになることもある。

 

スマホで無料で読める小説を、読むようになった。

最初は漫画ばかりだったのだけれど、

少しずつ活字にも触れられるようになってきた。

やっぱり私の心は引っ張られやすく、

楽しげな文章を読んでいれば私の心も上向き、

暗澹とした悲しい文章を読んでいれば、

私の心も下向く。

 

活字の恐ろしいところは、

もたらされる臨場感がまったく違うところ。

頭に入ってこないくらい臨場感がないものも、

頭の中で迫力満点の映画が流れるようなものも、

どちらもある。

私はどちらかと言えば後者が好きなのだけれど、

後者は私の心にもたらす影響も大きい。

それが心上向くものなら何も問題ないけれど、

心が沈むものだと、とことん沈んでしまう。

 

私は、現実で得た感情を、

本の世界に置き去りにすることはできても、

本の世界で得た感情を置いたままにして、

現実に帰ってくることはできない。

置いてきたものと同じくらいの感情を、

大概の場合持ち帰ってくる。

それが重く苦しいものだと、

私の心も引っ張られて沈んでしまう。

 

きっと他の人は、ある程度心に重量があるから、

私のように感情が引っ張られすぎて、

不安定で困ることなんてあまりないんだろう。

もし他の人の心も凧だったとしても、

ちゃんと自分で手繰れる長さの糸で繋がれてる。

他の人の感情みたいな、

手の届かない高さで吹き荒れる突風みたいな、

どうしようもないものに揺られるんじゃなくて、

きっと自分自身の感情で凧を動かしてる。

自分で手繰って、ある程度操って、

自分の感情で動いてる。

 

なんか、ふとそう思ったんだよなぁ。

外歩いてて情報量多すぎて、

色んな感情に引っ張られてぐちゃぐちゃになって、

疲労困憊になって帰宅して。

なんで私の感情は私の思い通りにならないんだろ、

って思った時に高く上げすぎた凧が頭に浮かんだ。

上がりすぎて地上からはどうしようもなくなって、

そのうち糸が切れちゃうやつ。

 

うーん、ごちゃごちゃしてる。

まだまとまんないなぁ。