名状しがたい日記のようなもの

適当なことを適当に書く感じのあれです(愚痴多め)

愛されたか否か、生きたか否か

 

こんばんは。

適当に書いていきます。

長いです。

 

『愛されなかったということは生きなかったということと同義である』

って言葉をご存知でしょうか。

僕は今日の今日まで知らなかったんですけど。

なんでもルー・サロメっていう、

ドイツの女性作家の言葉らしいんですけどね。

その人の本を読んだわけではなく、

たまたまスマホで読んでた小説の一節として、

この言葉が出てきたんですよ。

 

なんて言ったらいいんですかね、

なかなか厳しい言葉ですよね。

愛だの恋だのいうものを理解できずに、

だけど執着を捨てられずにいる僕には、

こう、心にぐさっとくるもんがありますよね。

そもそも愛とは?とか哲学的なこと考えちゃう。

 

昔、何かの教科書に、

『すべての子どもは望まれて生まれてくるべき』

みたいなことが書いてあって、

それならなんで僕の両親は僕が生まれて半年だか、

九ヶ月だかで離婚して、

母親は顔すら見せないんだろう、

って思ったことを思い出しました。

 

よく十月十日って言いますよね。

子供が生まれるまでの期間。

僕の父親と母親がセックスをして、

母親の身体に僕が宿るその時までは、

父親と母親の間に愛はあったんですかね。

愛あるセックスだったとして、

それと子供が望まれているかどうかは、

また別問題な気がしますけど。

 

さぁ、少なくとも僕が生まれてから、

多めに見積もっても九ヶ月後には、

母親から僕に対する愛情はなかっただろう、

ということが推察されますね。

離婚しましょう、はいわかりました、

ってすぐ進むわけないですし、

なんかしら問題が起こって解決できなくて、

色々ぐだぐだしてから離婚に至るんでしょうから。

 

そんでまぁ、僕は父親にも愛されなかったか、

と言われれば、愛されてましたよ、めちゃくちゃ。

上の兄二人とは雲泥の差って程愛されてました。

正確には『これが父親の愛なんだろうな』、

ってものは感じてた、と言った方がいいですかね。

僕の父親は、根は悪い人ではないですけど、

有体に言ってしまえば親としては最低のクズで、

上の兄二人は些細なことで暴力を受けていました。

僕は唯一性別が女だったので優遇されて、

父親に暴力を振るわれたことはありませんでした。

女は愛され守られるべきで、

男は強くあるために暴力を持って躾けるべき、

というのが僕の最低な父親の考え方だったので。

僕一人だけが優遇されたことによって、

当然兄二人には鬱憤が溜まりますし、

それが暴力や性的暴行として、

僕に返ってくることになりましたけど。

 

まぁ、父親は僕を愛していました。

保育園の頃、

まだ柔らかくて今より色素の薄い髪を、

毎朝父親がゴツゴツした手で結んでくれました。

夜は腰くらいまで伸びた髪を乾かして、

丁寧に艶が出るようにブローしてくれました。

僕のことを膝に乗せて絵本を読み、

チクチクする髭の生えた顎で、

僕の柔らかな頬に頬擦りしてくれました。

僕には母親の記憶が一切ないので、

普通と違った、という認識はありました。

大きくなってからも時折一緒に入浴し、

小さな子供とその親のように湯を掛け合って遊び、

一緒に寝ていました。

 

これらは父親からの愛でしょう。

父親なりの、愛でしょう。

だけどこれは僕が無条件で得た物ではありません。

僕が愛されるように仕組んだ、

と言ってもいいと思います。

 

僕は小さいうちから、暴力を受ける兄二人を見て、

父親にとって何が好ましくてそうではないのか、

ということを学習し見極めていました。

兄二人が殴られ蹴られている様は恐ろしく、

自分はああはなりたくないという浅ましい思いが、

深層心理にはあったんでしょう。

いつも可愛らしくにこにこ笑って、

父親の望む行動をして、父親の望む言葉を言う。

そんな娘であるように常に心がけていました。

それは物心のつかない小さいうちから、

最初は気付かずに、

成長してからは自己防衛の手段として、

むしろ積極的に行っていました。

 

さあ、ここで本題に戻りましょう。

『愛されなかったということは、生きなかったということと同義である』。

僕は父親に愛されていました。

父親が僕を愛していることを知っていました。

だけどそれは、父親が愛していたのは、

僕が作り出した父親の理想の娘であって、

本来の僕ではありません。

つまり本来の僕は愛されなかったということです。

本来の僕であれば愛されないけれど、

僕が努力して作り上げた、

父親の期待に沿う可愛い娘という僕なら愛される。

この場合、僕は愛されていたのでしょうかね。

きっと意見は分かれると思います。

 

さて、なぜ僕が今回父親のみにフォーカスを当て、

愛されたか否か、僕は生きたことになるか否か、

ということを論じようとしたのかというと、

それだけ僕にとって父親の存在が、

良くも悪くも大きいからですね。

僕はカフカが好きです。

彼が彼の父親に感じるものは僕のそれと近いので。

自分の知る地図を覆い尽くすほど大きくて、

恐ろしくて、だけど褒められると嬉しくて。

期待に応えられないのが悲しくて怖くて。

圧倒的で絶対的な存在。

カフカが感じた父親は僕の知る限りそういう感じ。

僕の父親は、僕の常識を覆い尽くすほど大きくて、

とても恐ろしくて、期待に応えられないと怖くて。

だけど唯一僕に愛してるって言い続けた人だった。

 

父親は僕に愛してるって言い続けた。

いつも僕を愛してるって言っていた。

メールでもLINEでも口頭でも、

愛してるって言っていた。

女に現を抜かしていても、

ちんこ咥えてもらってくるわ、って言って、

よくわからない立ち位置の女の所に行く時も、

僕に愛してるって言っていた。

僕が仕事をするようになって、

僕に金を無心するようになってからも、

愛してるって言っていた。

 

彼が愛していたのは誰なんだろう。

僕は愛されていたのか否か。

僕は、生きていたのか否か。

どっちなんだろう。

 

って考えてました。

いまだに忘れられないって、

やっぱ影響でかいなあ。

そんな感じです。

では。