金髪ショートにしたとか色々
めちゃくちゃ間があきました。
すげー久しぶりに日記書きます。
適当に。
二ヶ月くらいあきましたね。
ちょっと鬱が悪化して、長い文章をまとめられませんでした。
普段からまとまってないといえばそうなんだけれども。
前回がちょうど二ヶ月前くらい。
syudouさんの露骨ツアーに向けて髪の毛を緑色にした話でした。
その前が、戸塚にあるGIDが診れる精神科に通い始めた話。
GIDのカウンセリングと診察については約月1回、次回来月頭で四回目になります。
少しでも僕自身が抱えてる気持ちだったり、性別によって今まであった出来事、それでどんな思いをしたのか、そういう今まで内に秘めてきたことを可能な限り言語化して伝えて、カウンセラーさんなり医師の方なり、その上にいる立場の方々にわかってもらえたらいいなと思います。
正直今の段階では何もわからない、珍しいことだと繰り返されるばかりで、厳しいんだろうなとは思っています。
でも、カウンセラーさんの感触は悪くないから。
そこに一縷の望みをかけて、今まで人に話さないようにしていたことも全て、心の傷を抉ることになっても洗いざらい話して、少しでもいい方向へ進めたらいいなと思ってます。
本当は自分が望む治療全てを受けて、自分がなりたかったのはこの身体なんだ!って身体になれたら一番なんですけど、まだ何も言えないので。
syudouさんのライブはもう何も語る必要がないくらい最高でした。
って言いつつ少し語らせてもらうんですが。
セトリも最高だしパフォーマンスも最高。
可愛くてかっこよくて、終始目が釘付け。
全力で楽しませていただきました。
個人的にできうる限りの本音で固めたウォーアイニーもさせていただきました。
僕個人の感想として一番印象に残っているのは、ライブパフォーマンスの合間に挟まれるトーク。
泣きました。
我武者羅の時も泣いた気がしますが、露骨でもやられました。
不格好だろうがなんだろうが、時に卑怯に見えようが、僕は僕なりに、僕の望む方へ露骨に無骨に足掻いて進んでいこうと思いました。
本当に最高でした。
ありがとうございました。
ここで急に近況になるんですが、syudouさん関連でもう一つ。
新春決起集会のチケット、ゲットしました!
わー!ありがたや!
今年の頭のはちょっとまだ鬱がひどくて行けなかったので、初の新春イベント参戦になります。
この時に本音で固めたウォーアイニーをするのはもちろん、万全の体制で挑むべく、体調管理や外見のメンテナンスもしていけたらな、と思います。
この流れでついでに。
前回、二ヶ月前の日記で髪を緑にした(インナーカラー)と書いたんですが、まぁものの見事にその部分の髪が死んだので。
どうせなら全ての髪を殺そうとずっと考えていまして。
今日、殺って、じゃないやってきました。
今日の昼頃までは肩甲骨くらいの長さのセミロング、ツーブロ、インナーカラーの緑が褪色して緑と茶色と金が混ざったようななんとも言えない色をしてたんですが。
今は男性でもこれくらいの人いるかな?くらいのショートヘア、ツーブロ、全体が金髪になりました。
まずは髪を大体こんな感じ、くらいに切って、そこからブリーチを二回、乾かしてから全体をすいたり整えたりして完成。
ちょっとあまりにも田舎のヤンキーみのあるオレンジっぽい仕上がりだったので、あらかじめ買っておいたホワイトニングローションを帰宅後二回使用。
少しヤンキーみが減ったかな、と思っております。
ついでに眉毛だけ真っ黒だと嫌だったので眉毛もブリーチしました。
多少ムラはありますがいい感じにブラウンになってくれて、違和感が減りました。
元々めちゃくちゃ眉毛真っ黒で濃かったので…。
明日の朝眉毛を軽く整えればそれなりになるのではないかな、と思っています。
髪の毛のオレンジみについては、しばらくホワイトニングローションを使用してみて改善されればいいな、と。
二本あるので、二本目の半分くらいで足りなさそうだなと思えば追加購入しようかなと思ってます。
やってみて気付いたことは、久しぶりのショートヘアがめちゃくちゃ快適であることと、僕は田舎のヤンキールックが似合うのだな、ということの二点ですね。
個人的には気に入っています。
しばらく金髪を謳歌してから、緑にする時にお世話になったエンシェールズのカラーバターで何色を入れるか考えようかなと思います。
楽しい。
長くなりましたね。
しばらく書かないとこうなる。
まぁ、そんな感じでした。
では。
緑色を追い求めて
こんばんは。
適当に書いていきます。
髪を染めました。
二度ほど。
ということでそれについて書いていこうと思います。
まぁ、事の発端はsyudouさんのライブ、『露骨』に向けて気合を入れてテンションばんばんに上げていきたくて、インナーカラーを入れたいなと思ったところでした。
僕は地毛が高校時代頭髪検査に引っかかりまくる、染めてんのか染めてないのかわからない、まぁ黒髪ではなく茶髪だよね、っていう色なんですけど。
初っ端から前頭ブリーチして派手カラーは勇気いるな、ということで、そこそこ髪伸びてきたしインナーカラーで遊ぶかと。
そんで、茶色に合わせるにしても淡い色は似合わなさそうだし、めちゃくちゃ深い緑なんていいんじゃないかな、という思考の流れだったわけです。
先月、いつも通わせていただいている美容室で、インナーカラー入れたいんですよー、こんな色にしたいんですけど出来ますかー、って言って見てもらったのがネットで適当に和のカラーで探した天鵞絨(びろうど)。
かなり暗めの、深ーい緑です。
ちょっと厳しいかなとも思ったんですが、色を混ぜたりして調節すれば近い色にはなると思う、と言うことでその場で予約をお願いしまして。
そして迎えたカラー当日、日付が変わったので一昨日ですね。
これは今深夜1時38分に書いてますけども、一昨日がカラー本番だったわけです。
仕事を終えて、一旦家にシャンプーとリンスを取りに戻って、美容室へ。
まずはブリーチ。
頭皮が心配だからあんまりブリーチを塗って、流して、を繰り返したくないとのことで、重ね塗りしつつブリーチは一度のみ。
めちゃくちゃ田舎のヤンキーみたいなオレンジ色になりました。
染めてる途中、ブリーチ液がついた状態の髪を見て、色合いによっては金髪もいけそうだなとか思いつつ、いよいよそこへカラー。
ブリーチした髪がだいぶオレンジっぽいので、黄み消しの紫を少しと、黄色に合わせて緑になってもらえるように、青を合わせてありますーっていう、要はめちゃくちゃ濃い青紫的な色を塗って放置。
洗い流してシャンプーして、出来上がった髪色は…。
!!!!!!紺色!!!!!!
美容師さん曰く、ここから色落ちで希望通りの緑色になると思うので、その過程も楽しんでくださいねー、とのこと。
この紺色から本当にオレンジみが復活して緑になるのか…?と半信半疑ながら帰宅。
そしてシャワーを浴びてシャンプーをしたあと悲劇は発覚しました。
めちゃくちゃ色落ちしたんですよ。
めちゃくちゃ落ちたんです。
それ自体は別にいいんですけど、流れる泡が全部青いんですよ。
嫌な予感がするなーと思いながら、タオルドライして、ドライヤーで乾かしたら。
紺と青が混在するよくわかんないカラーになってて。
いやもう青じゃん、っていう。
まぁ僕が普段使ってるの石鹸シャンプーなんで、美容師さんそんなん使い慣れてないやろし、加減がわからんかったんやろなとは思いますけども、それにしてもムラがひどい。
おそらくブリーチもカラー剤も全然落ちてなかった。
シャンプーしてなお、襟足の髪とか場所によって濃紺、他は青。
いや俺天鵞絨頼んだよね?緑にしてって言ったよね?
明日の朝起きたら緑になってるとかいう奇跡ある?と思いながら就寝。
もちろん緑になってはいませんでした。
緑にするー!と公言していたので、会う人会う人に、それは緑では無いと言われ…。
職場の濃い緑色の机、緑色のカッターマット、緑色の工程表示用の札が目に入るたびに、ああ、でも俺の髪は青なんや…と精神が病んでいき。
久しぶりに頓服の安定剤を飲むほど…。
午前中は病みまくってました、仕事はちゃんとしたつもりだけども。
そしてお昼休み、いつも素敵な派手髪の先輩に、普段セルフカラーする時、何使ってるんですか、って聞いて見ました。
ブリーチ剤とカラー剤両方知りたいです、と。
そして教えてもらったのがエンシェールズカラーバター。
先輩の通勤途中で乗り換えるに置いてあるとのことで、先輩と一緒に(?)買いに行きました。
買った色はヘンプグリーン。
お目当ては昼休みに先輩が見せてくれた、青みのある濃い緑の、アッシュグリーンだったんですが、取り扱いがなかったので…。
とりあえず緑ならええわ!と真緑みたいな色のヘンプグリーンを買いました。
そしてお礼を兼ねて先輩と少しだけ飲み、帰宅。
わりと疲れていて、今日はもう諦めて明日にしようかなとか思っていたんですが、急に、いややろう、とスイッチが入りまして。
石鹸シャンプー四回して、見るからに青、というか濡れてる状態ですら青に見えるくらい色が抜けたのを確認したあと、カラーバターをたっぷり塗りこんで、放置。
欲張ってかなり長く置きました。
んで、丁寧に洗い流して…。
緑に、なりました!
流石に天鵞絨ほど濃くはないですが、とりあえず緑にはなりました。
ひとまずこれで心に平穏が訪れました。
痛い出費でした…。
次からインナーの時はブロッキングしてブリーチだけしてもらって、カラーは家で、先輩おすすめのカラーバターでしよかな、と思っております。
これで一応は緑髪でライブ行けるぜ、と一安心しております。
そんな感じでしたー。
では。
人間だって獣なんだよ
こんばんは。
適当に書いていきます。
ちょっとA型事業所で色々つらくて、自分史を書くのを一旦やめてる。
つらい時にさらにつらくなることしたらだめ。
俺はA型事業所にいる時、仕事だから自分のことを「私」と呼ぶけど、別に自分の性自認を隠したいわけじゃないから、カムアウトも全然オーケーだなと思っている。
すでに、個人面談があった時にサービス管理責任者の人と、同席していた職員さんには話しているし。
何が言いたいかっていうと、俺は俺の性自認に対して後ろ暗いことなんて全くないってこと。
別に理解されようがされなかろうが、受け入れられようが拒絶されようがどうでもいい。
俺は俺。
ピアスが増えようが中身が変わらないのと同じで、俺がどんな性自認であろうとも仕事に対する姿勢も、他の人と接するときの態度だって変わらない。
変わるとしたらせいぜい一人称くらいのもん。
でも一人称なんて英語じゃ男女関わらずアイマイミーマインなんだから、たいして変わんなくね?とも思ってる。
特別な配慮なんて求めないし、そもそも職場に色ごと持ち込まないし安心して欲しい。
初診の時からもやもやしていることがあって。
『頑張れ』と言わなかったことについては高評価だけど、だけどずっと気になっていることがあって。
俺が「恋愛感情が理解できない」と言ったら、すぐに先生から「じゃあアセクシャルなんですね」と言われた。
びっくりして何も返せなかった。
先生は勝手に俺がアセクシャルだと思い込んだようだった。
俺はアセクシャルじゃ、ない。
性欲は人並み、もしくはそれ以上にあるし、相手の性別が男女どちらであっても、お互いに気持ちよくなれて、お互いにめんどくさいことがなければ全然いいと思ってる。
今は同居人と約束したから誰ともしていないけど、性欲は持て余し気味だし、普通に自慰だってする。
高校の同級生には獣って言われたのを覚えてる。
いい例えだと思う。
相性がいい人は匂いでわかるし。
別にアセクシャルの人やその考え方、その存在を否定するわけじゃないけれど。
思い出すごとに思ってしまう。
ねえ先生、あなたは知らないの?
人間だってね、獣なんだよ。
俺は高潔な人間なんかじゃないから、きもちーことが大好きなの。
アセクシャルと一緒にしたらアセクシャルの人がかわいそうだよ。
すぐに決めつけないでもっと深く聞いてよ。
別に隠すようなことでもないし普通な答えるんだからさ、と。
俺は獣。
でも、きっとほとんどの人が獣。
人間だって獣なんだよ。
ちょっと理性があるだけの、他の動物と大して変わらない獣なの。
あー、後腐れない相手とワンナイトしたい。
そこにラブは要らないからワンナイトだけしたい。
そしてそれを都度別の相手と繰り返したい。
快楽は麻薬と一緒。
その場その場で気持ちよくて、面倒なことがなければOKだと俺は思うから。
別に理解なんてもの求めないけど。
きちんと書いてくださいって言われたら、書くよね。
ちゃんと。
あーなんか色々思い出してきた。
俺につきまとって俺の身体触ってめちゃくちゃキモかったストーカー先輩だって、あれ見方変えたら野生動物の求愛行動だろ?
ほら、やっぱ人間だって獣なんだよ。
俺だけじゃなくて、ほとんどの人が獣なの。
そんなことを取り留めもなく考える今日この頃でした。
では。
性別違和、生きてるだけで偉い
こんばんは。
適当に書いていきます。
昨日、土曜出勤を早退して県内のメンタルクリニックを受診しました。
GIDの外科的治療への判断の可否ができる、関東ジェンダー医療協議会に所属しているメンタルクリニックで、そこに通わなければ外科的治療の可否がもらえず、国内というか関東での手術が難しそうだったので。
ここまで言えば特定しようと思えば特定できちゃうな…。
まずですね、遠い…。
滅多に電車に乗らない僕からしたら遠いです。
極力乗り換えしたくないのに乗り換えしなくちゃいけないし、迷子の天才である僕にはちょっときついです。
そんで、待ちます。
本来メンタルクリニックなので全ての患者様がGID治療希望ではないとは思いますが、神奈川ではおそらく唯一の関東ジェンダーryの所属になるので、混んでます。
カウンセリングは時間通りに受けられましたが、その後診察までかなり待ちます。
お医者様もかなり忙しいようで、診察が始まってから紹介状や問診票、カウンセラーの方が書いた資料などに目を通しつつ診察、という感じでした。
カウンセラーさんいい人でしたが、チャック全開だったの気になりました。
言わないという選択をした僕は正しかったんだろうか…。
そんで、高いです。
診察自体は普通のメンタルクリニックと大差ないですが、約半年の間毎回カウンセリングが必要で、そのカウンセリングが自費なので…。
交通費含めると毎回一万円を超える費用が必要ですし、なんなら次回は血液検査が必要で、しかも運悪く血液検査と診察、カウンセリングが同日に受けられないので、交通費含めたら余裕で三万円超えるのでは、と思ってます。
来月僕の自由なお金ほぼゼロでは?
きっつー。
次回、来月は土曜に関しては運良く出勤日ではなかったので、休みを取る必要も早退の必要もなかったんですが、診察と血液検査に関しては休みを取る必要があり…。
来月は愛しのsyudouさんのライブもあるので、二日休みを取らなきゃいけないことになり、一日1時間ずつ、八時間残業はかなりきついなと思ってます。
金銭面に関しては判断の可否が出るまでに十五万円程かかると事前に聞いてはいたんですけど、実際直面するとかなりきついですね。
他にやりたいと思っていたこと、欲しいと思っていたもの、行きたかったところ、諦めざるを得ない部分が多く出てきそうです。
それだけ諦めて、時間も金銭も使って『否』を突きつけられたら、もうやってらんねーですよね。
ぐれてやる。
これは今、『自分史』なるものを作るのに精神的に疲れたので書いています。
いやだって性別違和とか、生育環境めちゃくちゃ関わってくるし短くまとめるとか無理じゃない?
ワードで作ってるけど枚数すごいことになりそうなんだが?
僕の人生嘘だろってくらい波瀾万丈だし、書くこと多すぎるし、なんならつらいこともめちゃくちゃ多いから精神的にめちゃくちゃ疲れる。
めちゃくちゃがいっぱい。
もらった用紙になんて書き切れるわけねーわ。
全然欄が足りませーん。
幼少期、学童期、青年期、成人期、将来について、備考、の六項目あるんですが、まだ学童期までしか書いてないのにすでに単語数が3000字近く、ページは二ページを超えています。
学童期まではこれでまだまだ序の口、基礎の説明的な感じなんですが、次の青年期がなかなかにやばくて、成人期も青年期よりちょいマシかなくらいなので、ページ数はやばいことになるの必至です。
セブンで印刷する金が勿体無い。
やばいとこ書いていくのは精神的にも疲れますし。
本当は今日一日で書き上げてしまおうと思ったんですが、ちょっと精神的に死にそうなのでやめました。
日数かけてちょこちょこ書いていこうと思います。
僕は、僕の心と身体が一致していなくて、ただほとんどの人がそうであるように、心と身体のありようを一致させたくて、ただそれだけなのに、名前を変えるにも、身体を変えるにも、どうしてこれだけ金銭や精神の負担が必要なんだろうな、と思ってしまいます。
だって、もともと一致している人がほとんどで、その人たちには必要ない負担を払わないと、その人たちと同じように過ごせない。
払ったとしても同じように過ごせるとは限らない。
ハードモードだな、と思います。
金銭的にめちゃくちゃきついし、もし『可』が出たとしてさらにお金が必要になって、痛みに耐えることになるのはわかってるんですが。
きついなーと思いつつ、今回伺ったメンタルクリニックの、いいなと思ったところ。
一度も『頑張ってください』と言わなかった。
『よく生き抜きましたね』『生きてください』としか言われなかった。
頑張れ、という言葉は人が簡単に口にしてしまう激励の言葉。
すぐ簡単に、頑張れーと言ってしまう。
だけど精神を擦り減らして生きている人にはその言葉が劇薬だったりもします。
もう頑張ってるのにどうして、まだ頑張らないといけないのか、そう思わせてしまって、追い詰めることもあります。
僕も同居人に頑張れ、って言われると、もう頑張ってんだけど?って言い返すことがよくあります。
僕らは生きてるだけで頑張ってるし、それだけで偉いんです。
メンタルクリニックという場所柄それをよく理解されているのか、一度も『頑張ってください』と言われなかったこと、それは高評価に値するな、と思いました。
まぁそれで金銭、時間、精神の負担が軽減されるわけでは全くないですけど。
そんな感じでした。
では。
死神の手、自殺、賛美、嫌悪
こんばんは。
適当に書いていきます。
個人的な意見や見解をだらだら書いているだけです。
同意を求めるつもりはありませんし、別に読んでいただかなくても結構です。
ちょっと良くない言い回しがあります。
りゅうちぇるさんが亡くなりましたね。
悲しいことです。
僕はあの人(ご本人がどういう性自認かわからないのであえてこう表現させていただきます)に対して、めちゃくちゃ強い思い入れがあったとか、そういうわけではないけれど、それでも思うこと、感じることはあるので、思ったことをつらつらと、脈絡なく書いていこうと思います。
あの人の最初のイメージは奇抜なファッションのキラキラふわふわした人、でした。
そして僕があまり意識していないうちに結婚されて、お子さんが生まれて、離婚をされて、そして亡くなってしまった。
僕のあの人に対する理解や認識はあまりにも浅く薄いけれど、深く濃くしようとは思いません。
きっと僕が自分で傷つくだけだから。
あの人は、とても強い人だったんだと思います。
自分が『完璧な男性』ではないことを、子供を産んでくれたパートナーに打ち明けることは、とても勇気のいることだと思います。
きっとあの人は、世に言う完璧な男性でも、完璧な女性でもなかったんだろうな、と僕は勝手に思っています。
どういう状況でどういう心境だったかはわかりませんが、愛する女性と子を成せたのですから。
その後に、愛する女性に自分が秘めていたものを打ち明けることは、相当な勇気が必要だったでしょう。
本人たちがどう思っているかはわからないけれど、新しいパートナーのあり方だな、と思っていました。
あの人の外見が変わり始めて、服装やメイク、髪型、体型が女性らしくなっていった時、すごいなと思いました。
メディア露出がある中で、デリケートな問題かつマイノリティに属するとされるそういうことをどんどん公開していく。
常にポジティブな、優しくて暖かくて柔らかい言葉を発信していく。
だけど、つらいことも多いだろうな、と思っていました。
その矢先の出来事でした。
速報を見て、僕がまず思ったのは、『やっぱつらかったんだなぁ』でした。
大っぴらにはされていなくても、誹謗中傷があったことは想像に難くないからです。
あの人がいつも前向きな発言をしていても、きっとそういうものはある。
前向きな発言をして、明るく生きているように見える人にも、当然のように悩み苦しみはあるし、悩み苦しみがあるから優しくできる。
そして、そんな人にも、死神の手は突然に忍び寄ることを僕は知っているからです。
僕は何度か自殺未遂をしたことがあって、一番酷かったのがカフェインのODでした。
今でも覚えています。
その日は金曜で、暗黒のような会社からいつもよりかなり早く上がれて、むしろ気分は良い方でした。
いつも通り、該当の少ない田んぼの中を音楽を聴きながら歩いていました。
まっすぐ帰れば家まで1時間弱の距離です。
その途中、ここだけは感情が欠落しているというか、なぜこうなったかわからないのですが。
道沿いの自販機の灯りにふらふらと吸い寄せられて、お茶を買って、途中にある公園のベンチに腰掛けて。
お茶のペットボトルの蓋を開けて、当時会社で飲むために小分けにして持っていたカフェインの錠剤を、全て飲み下していました。
ちなみに所持していた量はそこまで多くなく、200mgの錠剤が20錠ほどだったと記憶しています。
20錠を一度に飲み込めるわけもないのに、本当に、気付いたら全て飲み下した後だったのです。
気がついてから、カフェインの作用で急激に気分が高揚して、よし帰ろう!と思って歩き出したのですが。
そんなことをすれば当然カフェインのまわりが早くなり、体調はどんどん悪化していきます。
今の同居人が迎えに来てくれて、大量の飲み物を用意してくれて、吐きたいだけ吐かせるというセルフ胃洗浄のような処置をとってくれたことで、重度の脱水程度で済みました。
が、吐いても吐いても、口に何か入れるたびにまた吐き気が込み上げて、吐き過ぎて身体中の筋肉が悲鳴を上げて、動悸がして眠れなくて、という状態が二、三日であれど続いたのはつらかったです。
当時の家族にも心配をかけてしまいました。
ヨーグルトを大さじ二杯ほど食べたけど吐いてしまったり、目が回って立てないから四つん這いでトイレまで移動したり。
りんごが食べたい、と言って祖母が剥いてくれたりんごを食べて、吐かずに済んだ時、やっとこれから解放されるんだ、と思いました。
たった三日間で私の体重は五キロ以上(もちろんほぼ水分ですが)落ち、しばらく戻らなかったので、服のサイズが合わなくなりました。
体重はだいぶ戻りましたが体型はあまり戻ってくれなかったので、今でも洋服選びには苦戦しています。
僕はあの時のあの現象を、「死神の手」と呼んでいます。
死にそびれたのに何を言うか、と思われるかもしれませんが、全く意識していなかったのに、むしろ気分はいつもより良かったのに、気付けばそんなことをしていたわけですから。
まるで当時の僕の肩に、ぽんっと死神の手が置かれて、僕はそれに操られるようにふらふらと死のうとしてしまったんじゃないか、と。
それくらい、今でも不可解なのです。
これを読んでいる人がいるかはわかりませんが、もし読んでいる方がいればきっとお気づきでしょう。
『暗黒会社』と言う表現や『カフェインの錠剤を持ち歩いている』と言う時点で、すでに当時の僕はまともではなかったのです。
けれど僕はそのことに全く気づいておらず、むしろ「カフェイン飲めば昼間バリバリ働けて、切れた夜は眠れるし、コーヒー飲むより錠剤の方が効率的じゃない?」くらいに思っていました。
当時から不眠の兆候があって、眠れないと昼間の仕事に支障があるし、という理由でコーヒーを飲みまくるようになり、コーヒーがチルドカップのエスプレッソになり、エスプレッソが錠剤になるまで、時間はかかりませんでした。
今ならわかりますが、感覚が麻痺していたんですね。
当時はそれでも、理不尽なことがあっても、忙しくて朝六時に家を出て日付が変わってから会社を出て、途中のコンビニで買ったおにぎりを食べながら1時間歩いて帰宅して、入浴等を済ませて三時ごろに寝る、という生活に慣れていたし悩みがゼロとは言えないけれど、それでも明るく楽しく仕事していたんです。
「死神の手」で死に切れなかった僕は、幸か不幸か現実を見る目を取り戻して、めちゃくちゃ紆余曲折ありましたが暗黒会社を辞め、親族全員と縁を切り今に至るわけですが。
だから、有名な人が突然亡くなったと、どうやら自殺らしいとニュースで見ると、ああ、死神の手に出会ってしまったんだな、と僕は思うわけです。
悩み踠き苦しんで、それでも明るく生きているように見えた人が急に死んでしまうと、僕は僕の肩に昔置かれた死神の手を思い出すんです。
ここでなんの脈絡もなく話は変わりますが、人が亡くなってから「あの人は素晴らしい人だった」って言うの、やめませんか。
その人が素晴らしい人だということなんて、その人を好きな人ならみんなが知っています。
普段はメディアであまりそういう「この人は素晴らしい」なんてことは言わないのに、亡くなると急に「素晴らしい人だった」と言い始めるのにはとても違和感があります。
正直、浅ましいなとも思うし、軽く、いや軽くないかもな、嫌悪も感じます。
その人のことが好きな人たちやファンは、その人が素晴らしい人だなんて前々から知っているんです。
だから好きなんです。
亡くなった途端に「素晴らしい人でしたよね」なんて言われても、僕は白けてしまう。
亡くなったからって急に褒めるのやめましょうよ。
なんなんですか?
なんか変な罪悪感でもあるんですか?
その人を生きてる間に肯定できなかった罪悪感みたいな。
そんなもん自分の胸に秘めといて好きなだけ自己嫌悪に浸ってくださいよ。
少なくとも僕は、亡くなってすぐに、急に故人を褒め称えるのを目にしたり耳にするのは好きじゃないです。
生きてるうちに言え。
そんなんだから死んじゃうんだよ、って思ってます。
言葉が悪いな。
でも実際そうだと思うんですよ。
亡くなってしまってから「素晴らしい人だった」「悲しい」「寂しい」「会いたい」って言ったって実質意味なんてないし、ただの自己満足でしょう。
生きているうちに「あなたは素晴らしいね」「あなたが大好きだよ」「また会おうね」って伝えていれば、亡くなってしまうことは避けられたかもしれないのに。
完全に周囲が悪いとは言いません。
でも悪くないとも言いません。
本当に好きなら、本当に素晴らしいと思っているなら、本人に伝えなきゃ意味ないんです。
人間にはテレパシー機能なんて備わってないし、各個人の思考をクラウドで共有、閲覧できるわけでもないんだから、言葉で伝えなきゃ意味ないんです。
したかもしれないけれど、結局は足りてなかったか、信頼されてなかったからその人は亡くなってしまったわけで。
だからこそ亡くなった後途端に「素晴らしい人だった」と繰り返す報道を見るたびに嫌気がさすんです。
纏まりがないな。
でも書くのに疲れたのでこの辺にしておきます。
では。