普通の愛を考える
こんばんは。
適当に書いていきます。
日付変わったので今日ですね、愛しのsyudouさんがテレビに出るということで非常に楽しみですね。
マヂカルラブリーを元ネタにした『爆笑』を、野田クリスタルさんがいるところで歌うとか激アツでしょ。
やーばい。
しかもテレビ初歌唱ときた。
意地でも見る。
今宵のチャンネル権は誰にも渡さん。
いうて俺と同居人しかおらんけども。
syudouさんといえば、新曲『アタシ』ですね。
元々syudouさんは曲中の一人称として私よりはアタシを使うことの方が多いと思っているので、タイトルとしてもとても好きです。
今回は曲中、今まで他人と違っていても気に留めず生きてきたアタシちゃんが、アナタに出会ったことで、普通の愛がわからない、わかりたい、愛し合いたいと思うようになる曲ですね。
ハイトーンなのでsyudouさんの歌い方丸パクリしようとすると喉が死にそうになります。
あと、独特なリズムの取り方をするところが多々あるのでちょい難しいです。
でも好き。
カラオケ行って入ってたら絶対に歌う。
俺としては今回の曲のキーワードは[普通の愛]だと思っていて。
アタシちゃんは曲中で、「育ってきた環境が違うから 好き嫌いの概念が逆なの 世論 倫理 共感されないの」と述べていますが、育ってきた環境なんてみんな違うし、愛なんて人によって違うものだと俺は思うんですね。
例えば人物Aが人物Bに対して[愛]というものを抱いていたとして、目に見えないそれに形があったとして。
人物Aの持つそれが人物Bの持つそれにはまらなければ受け入れられない、というのはまず前提にあると思うんですよ。
例えばほら、よく聞く話で言えば「愛が重い」だとか、「世話焼きすぎてオカンみたいでそういう対象として見れない」とか。
一致してないからそうなるんですよね?
同じ重さの愛だったなら片方が重いだなんて思わないだろうし、世話をしてくれることに対して愛されてんなーと思えれば、オカンみたいでどうのこうの、ということにはならないはず。
俺はそう思うんですよ、あくまで個人の見解ですけど。
俺個人としても、俺が求めていない厄介な[愛]に困らされたことは何度かありましたし。
親からの「愛してるんだから望み通りの子供でいろ」っていう圧力とか。
「同意得てないけど愛してるからいつも見ていろんなところに触れていいよね」っていうストーキングセクハラ変態とか。
「俺が愛してるんだからバレンタインにチョコレートくれて当たり前なのに何でくれないんだ」とかいう、メールで我が家の電球がチカチカしてることを指摘してくるナルシスト型ストーカーとか。
「俺が愛してるのは今の君だからピアスなんて開けないでくれ」とかいう理想を押し付けてくるタイプとか。
めんどくさいっすよね。
全部ね、求めてないんですよ。
俺から愛してくれなんて頼んでないし、そんなオーダーしてないから全然マッチしてないの。
だから俺は思うんですよ、[普通の愛]なんてないんじゃないかと。
そもそも普通の定義なんて曖昧なもので。
多数派の意見が大体普通とされるけれど。
[愛]なんて複雑怪奇なものみたいに言ってますけど、もっと単純な感情の組み合わせだと俺は思うんですよね。
プルチックの感情の環、でしたっけ。
八つの基本感情があり、それが組み合わさることで他の感情になる。
信頼と喜びが組み合わさって強まればそれが[愛]。
これが全てだとは思わないけれど、複数の感情の組み合わせがいわゆる[愛]なんだろうな、とは思っています。
前も書いたかもな。
例えば、まず相手に対するなんらかの好意。
これは必須条件ですね。
そこに相手を性的に見ることができるか、つまり欲情できるかどうかとか。
嫉妬や独占欲、庇護欲とか。
そういったものが重なると、いわゆる[愛]になるんじゃないかな、と。
まず軽ーい恋愛なら、相手のことが何となく好きで、性的対象に見ることができれば、性交渉に及ぶためにまずはお付き合いから、なんてこともあるでしょうし。
嫉妬や独占欲が強ければ、ヤンデレメンヘラ型の恋愛になるでしょうし。
庇護欲が行き過ぎればソクバッキーになって、相手の行動を制限したり、相手の言動を否定して自分がいなければダメだと思い込ませたりするでしょう。
俺としては一番オーソドックスな[愛]は何らかの好意と性欲と独占欲が組み合わさったものだと思ってるんですけどね。
まぁこんな分析をしてる俺は、まさに「わからないのさ 普通の愛」状態で、いわゆる恋愛感情というものが理解できなくて、持ち合わせていなくて、だからこそ上記のような分析とかをしたわけですが。
俺の育ってきた環境が特殊だったことは否定しないし、全くもってその通りだと思うし、だからこそ[普通の愛]なんてわからないけれど、もっと単純でいいんじゃね?とも思うんです。
俺は言語が好きなのでそっちからいきましょう。
英語で好きはLike。
大好きになったらReally like、もしくはLove。
愛してるも、Love。
それが物でも人でも関係なく。
I like it. I like him.
I really like it. I really like her.
I love it. I love you.
感情の大きさに比例していくだけ。
言語の世界は単純明快。
心の中がどんなグラデーションでどこに自分の気持ちがあって、それがどの強さなのかわからなくても、言語としてなら単純明快。
好きが大きくなったら大好きで、それがさらに大きくなったら愛してる。
それでいいし、それに普通も異常も正解も不正解もないんじゃないかな、と。
前述した俺が求めていなかった愛だって、誰か他の人に向いていたなら、ぴったり合わさっていたかもしれない。
まぁちょっと異常み強いのが多かったけど。
そういうのもあくまでも個人の見解だし、正常異常もフーコーの狂気と理性みたいに隣り合わせで取る人によって違うものだから。
あの人たちにとってはあれが[普通の愛]だったのかもしれないな、と今は思います。
だからといってじゃあ今から受け入れられるかって言われたらまぁ無理ですけどね。
そんなこんなで[普通の愛]について考えてたここ最近でした。
俺もわかるようになりたいなぁ。
では。