名状しがたい日記のようなもの

適当なことを適当に書く感じのあれです(愚痴多め)

背中とナニカ

こんばんは。

ほんと連日だな。

適当に書いていきます。

いつも通り読まなくていいやつです。

 

気分が悪くなると、

首の後ろに手を当てる癖がある。

握り込むように、押さえ込むように。

怒りや悲しみ、何らかの苦悩が強くなると、

そこから何かがふつふつと湧き出る気がする。

そしていつか、頸椎から胸椎、腰椎にかけて、

まるでジッパーが開くように左右に体が開いて、

中から何かがずるりと這い出してくる気がする。

だから、気分が悪くなると首の後ろを押さえ込む。

 

俺がこの感覚に囚われ始めたのはいつだったかな。

かなり前であることは確かなんだけど。

いつも書いてる通り俺は劣等感の塊で、

何かを誤魔化し誤魔化し生きてる。

それはまるで人形のようで着ぐるみのようで。

俺の背中にもジッパーついてんのかな、なんて、

何の気も無しに考えたのが始まりだったかも。

 

ああ、中学の頃だったかもしれないな。

学生だったのは確かだ。

教科書に載ってた、

I was born』に影響されたのかもしれない。

あれは今でも俺の頭に焼き付いている。

口も胃も退化して、腹の中には子ばかりの蜉蝣。

ほっそりとした母の胸の方まで、

息苦しくふさいでいた白い僕の肉体。

今でも当時頭に思い描いたものと寸分違わぬ絵が、

俺の脳裏に一瞬にして蘇る。

あれは、いろんなことを考えさせてくれる。

生物の営みという意味での繁殖、

文法と違わぬという子供の無邪気さ、無知さ、

父親が蜉蝣の短い生に興味を抱いた理由や、

そのタイミング。

 

でも、なんだろうなぁ。

俺にとっては、身体の中に何かがある、

っていうのがありありと想像できた、

そのことが大きかった。

もちろんリアルさには欠けるだろう。

だけど、まるで蜉蝣のように。

全ての内臓を押しやってまで、

胎児が身体の中を占めているその様が、

俺の脳内にありありと浮かんだんだ。

 

俺はまぁ、当時も変わらず不安定で。

飯も食ったり食わなかったりして、

いろんなトラブルがあったりして、

でも表面だけは誤魔化してなんとか生きてた。

I was born』を読んだ時に、きっと思った。

俺の中には何があるんだろう、って。

表面ばっか取り繕って生きてる俺の中身は、

空っぽなのか、それとも何かが入ってるのか。

溜め込んだ鬱憤みたいなもんでも、

なんかしら入ってるんだろうか。

そんなことを考えたような気も、しないでもない。

 

話を戻そう。

俺が首を押さえるのは、

そこが開く気がするからだ。

桃って感じの成り立ちは、

兆の部分に真ん中で綺麗に二つに別れる、

って意味があると何かで聞いたか読んだか。

頸椎から胸椎、腰椎にかけて。

首の骨、背骨は、身体の真ん中を通ってる。

そこに俺は共通性を見出してしまった。

背骨から綺麗に左右に割れるんじゃないかと。

 

夢にまで見た。

おどろおどろしい夢だった。

誰かの、おそらく俺の、

裸の背中を俯瞰で見ていて、ふとそれが軋む。

嫌な音を立てて、内側から開いていく。

中は真っ黒で、そのうち中から黒い手が、

開いた背中の両側を掴んで抉じ開けていく。

頸椎から始まったそれは腰椎まで大きく開き、

そしてずるりと、ナニカが這い出る。

その何かは黒い人のような形をしたモノで、

それが抜け出た後の身体は、

ぽっかりと開いたまま、赤黒いだけで空っぽで。

 

その夢を見てからというもの、俺は怯え、

負の感情に苛まれるたびに、

首の後ろを押さえるようになった。

俺の背中が頸椎からぱっくりひらいて、

中から真っ黒いナニカが出てこないように。

そのうちそれは癖になって、

俺は今でも気分が悪くなると首の後ろを押さえる。

悪癖なんだろうとは、自分でも思う。

 

コレを想像したのは俺だけなんだろうか。

自分の身体の中には何か別のモノがいて、

いつかそれが身体を破って出てくる。

誰もそんな想像はしないんだろうか。

 

体調を崩しているとどうしても気分も落ち込んで、

首の後ろを押さえる機会も多くなる。

いつもは無意識のそれを、ふと意識したとき。

そのルーツがなんだったのか、

思い起こして記しておこうと思った。

 

いつかイラストにしたいなぁ。

身体描けねぇんだけどね。

そんな感じでした。

では。